2015.08.27編んで集める? 集めて編む?


こんにちは。榑林です。

 

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編集の仕事を始めた頃、「これ、作ったんだ」と親に報告したことがあるのですが、返ってきたのは「それで、お前はどこの記事を書いているんだ…?」(作る=記事を書いていると思い込んでいる)という返事でした。

「いやそうじゃなくて……」と説明するのですが、あまりよくわからないようで、次に実家に帰ったときは、手書きのラフなど、作り上げる過程のものまで持ちかえり、説明したことがありました。

 

さて、少し話がそれましたが、編集とは、編んで集めるのか? 集めて編むのか?

私個人の意見ですが、どちらもあると思います。

 

前者は、コンセプトを先に決めて、その世界やメッセージを伝えるには、これとあれとそれを組み合わせてみると面白いだろう、これとこれをつなげたら面白いだろうなど、仮説を立てて、それに基づいて、その企画を実現するための素材を集めていくかたちです。

 

一方で、そのコンセプトや企画をつくるという段階で、そもそもその分野のことがある程度わかっていないと仮説も立てられないし、コンセプトも作れない、企画も立てられないということがままあります。

 

そういう意味で、編んで集める、集めて編む、どちらもあると思っています。

 

ただし、これだけはマストと思っているものがあります。

それはインプットするということ。

 

表現や手法といった具体的なものから、世の中のムード、流行、人の感情などなど。

そういったものをインプットしないことには、何も生み出すことはできないと思います。

 

何かと何かを組み合わせることで、新しい価値を生む。

それこそが仕事であり、人の営みなんじゃないかと思ったりもします。

 

職業人としては、自分がその分野で高めていきたいと思うことを注意深くみるようになると思いますが、そうすることで専門性を高め、クオリティを高めていくことになっていくんだと思います。

意識し、たくさんみることで、視点(自分だけのデータベースに基づいた分析)と、それを元にしたアウトプットができるんだと思います。

 

世の中の常識や価値観というのも、インプットがあってはじめて成り立つものですよね。たとえば常識でいえば、東京ではエスカレーターの左側に立つ、大阪では右側とか。価値観だったら、お金をたくさん稼ぐことが幸せなんだ、いやお金は必要最低限でいい、それよりもストレスのない生活を送るほうが幸せだという場合もあります。

 

でも、共通しているのは、意識する・していないに関わらず、いろんな感情や情報、ありとあらゆるものに触れて、知って、感じたからこそ、そういったものが生まれてくるのだと思います。

インプットしなければ、アウトプットは生まれないのではないでしょうか。

 

 

と、なんか抽象的な話になってしまってすみません。

 

 

まとめると(まとまってるかわかりませんが)、編集という行為が「対価を得られるもの」としてとらえた場合は、”編集=編んで集める”ということになるのかなと思いますが、それ以前に「仕事」もっといえば「人生」としてとらえた場合は“編集=集めて、編む”ということがいえるんじゃないかなと思います。

 

なので、編んで集める、集めて編む、どっちもありなのではと。

 

 

最後にひとつ言えるのは、インプット(肌感、感情、知識…などなど)なしでは、アウトプット(新しい見方や考え方、発想などなど)が生まれないということでした。

 

自分自身、肝に銘じて。

 

 

あ、冒頭の写真はインプット作業です。今年まだ、夏休みらしいことしてなかったので。

この翌日、ぐっと涼しくなっちゃいました。

2015.07.05僕らの仕事は、サッカーチームと一緒ではないかと思う


祈・なでしこワールドカップ2連覇!

 

このブログは女子ワールドカップ決勝の前夜(7/6)に書いております。

本当は金曜のブログ当番だったのに遅れてしまいすみません。

 

明日の朝のアメリカとの決勝戦が楽しみで仕方ありません。

早く寝なくては。

 

さて、タイトルに戻ります。

サッカーと、編集の仕事、それに会社というものって似てるなと思います。

 

サッカーでは、試合で勝つことが目標です。

どうやってゴールを決めるか、逆にゴールを決められないようにするか、各ポジションがそれぞれの役割を担いながらも、連動しながら勝利に向かって試合を進めて行きます。

 

これを僕たちの仕事に置き換えると、「試合」は、そのまま作るもの(本やウェブなど)に置き換えられ、編集者やライター、デザイナー、カメラマンといったそれぞれ職能的専門分野を持った人たちが連動して、1つのものを作り上げていきます。

 

勝つ(よいもの、効果があるものを作る)には、どんなに各ポジション(職能)の人が、どんなに能力が高くてもなかなかうまくきません。なぜなら、そもそもボールが回ってこないことには、その高い能力も発揮できません。

 

また、ゴールを目指して進んでいるけれど、まわりにたくさん敵がいて、自分の能力では到底突破できないかもしれないというときに、仲間が助けにきてくれれば、突破することができるかもしれません。

そうすれば、ゴールを奪うことができるかもしれません。

 

 

サッカーも、僕たちの仕事も、もちろん個の力は必要です。

個の力を高めなくては、そもそも試合に出ること(制作チームに加わること)ができないと思います。

 

でも、試合を決める(よいもの、効果のあるもの)を作るには、それぞれの力(職能)を高めた者たちが、どう連動するかということが、とても大切になってくると思います。

 

サッカーは一人では勝てない。僕たちの仕事も一人では勝てない。

 

あんまり上手に伝えられていないような気もしますが、チームプレイは大切!と思います。

 

ということで、なでしこ優勝してくれー!!

 

追伸、この間、栃木県にある「おもちゃのまち バンダイミュージアム」にいきました。

そこで弊社・奥山によく似たクマのぬいぐるみをみつけましたので、ここに掲載いたします。

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2015.04.28アメリカの田舎事情と、100年愛されるために必要なこと


こんにちは。榑林です。

先々週から先週にかけて、出張でアメリカに行かせていただいていました。

不在中、ご迷惑おかけしたみなさま、すみませんでした。ありがとうございました。

 

訪れた町は、こんな↓かんじです。

 

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基本、見渡す限り大自然に囲まれた町なのですが、こんな↓ラ○ホテルみたいな建物も。

 

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こちらは30年近く前からこの地でショーを披露し続けている日本人ショージ・タブチさんの、その名も「ショージ・シアター」。こんなところ(いい意味で)に、日本人がと感慨深いものがありました。

 

なお、現地のドライバーさんや知り合った方達から、「ショージの男子トイレだけは見ておくように」といわれたので、トイレだけ見せてもらいました。入り口のドアを空けてから便器までおよそ50メートルはあり、入ってスグのところに、なぜかビリヤード台がありました。実際にプレイできるようです。アメリカではビリヤードはトイレでするものなのでしょうか(否)。

 

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ちなみに、このショージさんのシアターの真向かいのホテルに宿泊していたのでチェックしてみたところ、開演時間が近づくとあっという間にお客さんの車で駐車場がいっぱいに。中には貸切バスで訪れる人たちもいました。とにかく大人気のショーのようで、見ておけばよかったと少し後悔。

 

町にはほかにもたくさんのシアターがあり、人口1万人ほどながらも、ショー目当ての観光客が年間数百万人も訪れるエンタテインメントが主幹産業となっているところのようでした。ロスから来た方曰く「カジノのないミニ・ラスベガス」とのこと。

 

 

さてさて、このような町に何をしに行ったかというと、仕事内容についてはあまり詳しくは書けないのですが、100年以上前から愛され続けるあるモノについての取材・撮影のためでした。

 

初日は、年に一度この地で開催されるそのモノを中心としたお祭りの様子を取材し、その後は数日間に渡り、そのモノとその作者に関するミュージアムへ伺い、館長さんにいろいろ説明していただいたり、撮影させていただいたりしました。

 

この間知り合った方や取材させていただいた方々、みな本当にそのモノが大好きで、その作者のことも本当によく知っておられて、心から愛しているんだなとヒシヒシと感じました。

 

でも、なぜ100年も変わらず愛され続けているのか?

皆さん口を揃えておっしゃられたことは、生みの親はもちろん、作者の死後継承してきた方たちが「流行を作らないようにしてきた」から。

 

「流行の先には必ず廃れがある、だから流行はつくらない」と説明してくれました。

 

長く廃れないためには、それを知らない人たちにも知ってもらわなければならない=新たなファンを獲得しなければならない、だけど流行は作ってはならない。

ん〜、もやもや。これって、非常に難しいことですよね。

なのですが、もうひとつ、出会った方々が教えてくれたことがありました。

 

それは、これまたみな一様に、そのモノの魅力だけではなく、作者が何を想い、どう行動してきたかということをとても詳しく知っていて、心から共感し敬意を示しているということでした。

 

近年、日本でもただモノの魅力を発信するだけでなく、その背景にある生産者や作者の想いや仕事ぶりまでを紹介していくメディアや企業が増えてきていると感じています。

 

この風潮を流行としてしまうのではなく、続けていくことが大切なのかもしれません。

 

自分が携わる編集業に置き換えて見ると、最初は紙(雑誌やムック、書籍など)からスタートしましたが、いまではウェブやイベントなども携わるようになり、もはや何屋なのか?と思うときもありますが、コアにある編集(編んで集める、集めて編む)ということをブレずに続けていかなきゃなと思うわけでした。

日々修行。精進して参ります。

 

 

おまけ。

アメリカ出張最後の2日間はロサンゼルスへ。都会でした。

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みやげ屋?焼き物屋?のウインドウには、アッ○さんのような置物も。

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2015.03.28ことば?の力


写真

 

こんにちは。くればやしです。

写真は、僕の晩酌の常備つまみの剣先するめいかです。大きなものより小さなもの、赤みがかったものより白っぽいほうがやわらかくて甘みがあって好きです。1週間に3回くらいのペースで食べています。ピンぼけしていてすみません。今回の話には一切関係ありません。

 

さて、あんまりこういう話を書くもんじゃない(しかも会社のブログで)と思いますが、衝撃を受けて動揺した、だけどすぐにちょっと救われるような気になった、というできごとがあったのでその話をさせていただきます。

 

3月半ば、あるウェブサイトの仕事で、早朝から取材で出かけていた時のこと。

 

取材がスタートして間もなく、ズボンのポケットへ入れたままの携帯がブルブルと震えました。当然出るわけにはいかずそのままに。すると2、3分後にまたブルブル。画面をチェックすると、どうやら母親からの電話のようです。

 

いつもなら、こちらが出ないとメールで用事を伝えてくるのだけど、この日は立て続けに二度。

「何かあったのかな?」とちょっと気になり、取材と撮影の隙間時間にメールをしてみました。

 

「取材中なんだけど」

 

するとすかさず返信。

 

「お父さんが中指を切断しました。連絡遅くなったけど、一応言っておいたほうがいいと思って」

 

え?? 何? マジ? なんだその衝撃の話!

そのままメールで伝えると、今度は一行のみの返信。

 

「電話できたらよこして」

 

そりゃもう、電話したいですよ。でもこれから撮影。動揺を隠しながらも、なんとか切り替えて撮影に臨みました。

 

そうして撮影も無事終わり、次の取材先に向かう車中、やっと電話できる状態になったので、すかさず掛けると、すぐに出ました。

 

堰を切ったようにしゃべり始める母。

 

父親が中指を切断したこと。

その日は、姪っ子(妹の娘)の1才のお祝いをみんなでお祝いしようと予定していた日だったこと。

父が中指を切断することになったのは、電動の丸鋸の操作を誤ってしまったためらしいこと。

何をしよう(作ろう)としていたかはわからないこと(というかそれには興味がなくて聞いてないんだと思う)。

中指が切断されてしまったほか、人差し指も少し切れたこと。

事故の時間まで家には父しかいなかったが、ちょうど事故の瞬間に兄が帰ってきたということ。

兄は父を車に乗せ、自宅から数分のところにある消防署(救急車もいるため)に向かったこと。

救急車に乗せてくれ、父を病院まで連れて行ってくれたこと。

その間、兄は一度自宅に戻り、保険証やら何やらをもってから、父の搬送された病院へ向かったこと。

病院へは、切断された指も持っていったが、骨までギザギザに切れているので、くっつけることはできないと言われたこと。

父は処置を受けながらも、その日予定していた姪っ子のお祝いの時間を気にしていたということ。

 

 

指を切断する。どう考えても大ごとです。

電話を聞きながら、僕は、母や兄妹たちもさぞ動揺したのだろうと考えていました。

(当然、自分もかなり動揺しました)

 

 

そんなことを思っていると、ひと通り当日の出来事を話し終えた母は、突然、違う話題に切り替えてきました。

 

「そうそう、あんたのブログっていうの? 読んだよ」

 

へっ?

(いま、その話必要?)

 

「お兄ちゃんがさあ、インターネットで見つけたの。あんたお父さんのこと書いたでしょ」

 

あ、ああ、会社のブログね。書いたけど。

(いいじゃん、いまその話必要じゃないでしょ)

 

ここから数分、今度は僕のブログについてあれこれ話し、母は電話を切りました。

 

 

あー、びっくりした。なんなんだいったい。

電話が終わり、まだ少しびっくりしていたけれど、父の中指切断の話と同じように僕のブログの話をするから、なんだかそこまで大ごとではないような気もしてきて、少し救われたような気がしました(もしかしたら母が気を遣って、あまりビックリさせないようにそう話してくれたのかもしれませんが)。

 

 

ここでやっと、タイトルの「ことば?の力」について。

 

「切断」と聞くと、物騒な感じがします。だけども日々目にするニュースなどでこの言葉が出てきても、それほど動揺することはありません。でもこれが、自分がリアルにイメージできる対象にかかることばになると、これほどまでに衝撃を与えることばになるんだなと。

 

それに、そんな深刻な話を聞いた後、これはことばではないけれど、日常のたわいもない会話(今回の場合は僕のブログの話)をされると、その深刻さが薄れてくるんだなと。

 

 

誰が、そのことばを聞くのか(見る・読むのか)によって、そのことばのもつ力は変わってくる。

そして、そのことばに、違うことばを掛け合わせると、また違った意味や捉え方が生まれてくる。

 

 

とまあ、今回のショッキングな出来事で、そんなことを思いました。

 

それと、母や父、兄妹たちの、鈍感力(いい意味で)に感服いたしました。

「そんな大したことないらぁ」(「ら」は静岡の方言です)という声が聞こえてきそうです。

 

 

追伸、

父が指を切断してから、母が僕に連絡をよこしたのは1週間後(もっと早く連絡してよ!)。その間、二人の妹とは、それぞれラインと電話で連絡を取る機会がありました。二人とも、父の話にはまったく触れませんでした(教えてよ!)。

2015.02.25ともだち100人できるかな?〜借りパクはよくない〜


いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいな
ふじさんのうえで おにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと

――童謡「一年生になったら」より

 

って、おいおい、 1人どこいったんだよ! 怖いよ!

 

 

というネタ(?)を最近ネットで見ました。

なるほどな、と思いました。

(歌の主人公1人にともだち100人を足すと101人なので)

 

どうも、くればやしです。

 

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さてさてワタクシ、“結婚式貧乏”なるものを経験したことがありまして。

 

めでたい席なので呼んでもらえれば必ず参加するようにしていたところ、確か26、7の頃、毎月必ず1件以上の結婚式があるという状態に陥りました。

 

ご祝儀に毎回3万円、加えて2次会や3次会への参加費、たまに地方への交通費&宿泊費を含めると、結婚式のためにその1年でおおよそ60万円ほど使いました。

 

とまあ、お金のことはどうでもいいのですが、かつての自分に言いたいのは、どうしてこんなに参加したのか、ということです。

 

現ヨメ(当時センパイ)にも「なぜそんなに結婚式が多いのか。携帯番号も知らないトモダチの結婚式によく参加するな」とからかわれたものでした。

(さすがに携帯番号くらい知ってるっつうの。メールアドレスは知らない間に変えられていてもね……)

 

でもやっぱり参加したのは、ともだちだから、だったのですが、最後に会ったのが結婚式、それ以来5年以上会ってないぞ、という人もちらほらいるなと、思いました。

 

ともだちって、どこからがともだちなんだろう?

 

小中学校のとき、ほとんど毎日のような勢いで一緒に遊んでいたけど、別々の高校に進学したことで段々疎遠になっていったD君は、いまでもともだちと言えるのでしょうか?

きっかけは仕事だったけど、今では仕事抜きでもたまに飲みにいくIさんとは、いまだに「Iさん」「榑林さん」と互いに「さん」づけで呼び合うけれど、これってともだちなんでしょうか?

 

辞書(goo辞書/デジタル大辞林)を見ると、

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。

とあります。

 

うーん、でもまあ、自分がともだちだと思っていて、相手も自分のことをともだちだと思ってくれていれば、ともだちが成立するのかなあ、とも思いました。

結局は当人同士がどう思っているかですかね。

 

そういう意味では、D君はいまはともだちじゃないかもしれません。

でも、間違いなくともだちという関係だったと思います。

きっとまたともだちに戻れる日がくるかもしれません。

 

後者のIさんは、勝手にともだちだと思っています。あとはIさん次第。

(なんだ、この告白)

 

 

 

最後になりましたが、このポストは会社のブログにアップしているもので、読んでいただいたあなたさまは、きっとFacebookのフィードで流れてきたことと思います。

 

Facebook上ですでに榑林と「友達」になっていらっしゃる方で、「百歩譲って、ともだちだと思ってやっていいぞ」という方は、ぜひ「いいね!」を押してやってください。喜びます。

それと、「オマエ誰だ、知らねえぞ」(Facebookで榑林と「友達」じゃない、まったく知らねえぞ)という方であっても、もし「まあ、いいね!くらいは押してやってもよいぞ」という方がいらっしゃいましたら、ぜひ押してやってください。喜びます。あと、「友達申請」させてもらってもいいですか?

 

以上、今月の「ボクはみんなともだちだと思っている」でした。

 

 

追伸、高校時代の同級生E君、中谷美紀feat.坂本龍一のCDですが、17年ほど借りっっぱなしでごめんなさい。つぎに会ったとき返します。いつ会えるかな?

※冒頭の写真は、それです。

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