2015.08.07旬の時季に、ひとつ怪談話でもいかがですか?


お暑うございます。おっさんの方の小林です。

あまりに暑いので、今回はちょっと冷やっとする話をお届けします。
ええ、そうです。またまた怪談です。
ちょっと古い話ですが、私の実体験です。

題して、『怪談本が生まれた後で……』

もう20年以上前のことになります。
初めて自分の名前で怪談本を出版することになりました。
スケジュールはかなりタイトでしたね。
実際の執筆期間は2週間もなかったと思います。
自分の体験のアレンジ、完全なオリジナルを含め、
短編を20本書きました。
最後の2日間は、担当編集者が隣の部屋で書き上がった原稿の校正を
行っている中、徹夜しながら残りの原稿を書き続けていました。

明け方頃だったでしょうか。20本目の原稿を書き終えて脱稿。
出力紙と原稿データの入ったフロッピーディスク……
当時、書籍原稿といえばフロッピーで渡すのが主流だったのです。
その2つを編集者に託し、私は始発の電車で帰宅。
担当編集者はそのまま会社へと向かいました。

その担当編集者から電話がかかってきたのは、翌日の夜でした。
「あの〜 今回って20本書いていただきましたよねぇ?」
受話器の向こう側の声は軽い調子でした。
「はい。えっ、もしかしてフロッピーに20本入ってませんでしたか?」
少し焦って聞き返す私を制するように、
「あ、いやいや、そうじゃなくてですね。……そうですよねぇ、
20本ですよねぇ。いや失礼しました。本当にお疲れ様でした。
近々、打ち上げしましょうね。また連絡しますから」
少し慌てた様子で担当編集者は電話を切りました。

数週間後、無事に本は出版され、約束通り打ち上げが行われました。
大塚駅近くにある小さな居酒屋、ささやかな打ち上げでした。
酒が進み、担当編集者がほろ酔い加減になった頃、こう切り出したのです。
「僕、電話したじゃないですか。20本書いていただきましたよね、って」
「ええ」
「実はですね……21本入ってたんです、フロッピーに」
「えっ、そんなはずは……」
「そうですよね。いや、途中までしか書かれていなかったんですけど」
「いや、そんなはずないですよ。フロッピーに入れるときに確認しましたし、
 だいたい余分に書いてなんかいないんですから」
「そう……ですよねぇ」
 少しうつむき、手にしたグラスを見つめる担当編集者。
 おもうむろにグラスの酒を一気に飲み干すと、私を見つめ話し始めました。

「実はそれだけじゃないんですよ。僕も、こんな体験初めてなんですが……」

 そこからしばらくは彼の一人語りになりました。
 私の原稿を受け取った彼は、夜遅くまで編集部に残り、
 一人で作業をしていたそうです。
 終電の時間が近づき、そろそろ帰宅の準備をしようとしていた時、
 編集部のドアが開き、バタンと閉まる音が。
 誰かが戻って来たのだと思い、机に向かったまま「おつかれさまです」と
 声をかけたそうです。しかし、何の返事もない。
 おかしいなと思い、顔を上げて編集部内を見回すけれど、誰一人いない。
 でも、間違いなくドアが開き、閉まる音がしたそうです。

「あれっ?」
 思わず声を出した瞬間、隣の机の引き出しが、勢いよく飛び出し、
 中に入っていた書類が床に落ちたかと思うと、部屋全体がグラグラと揺れ出 
 したそうです。
「な、な、何だ!?」
 大きな地震が起きた。そう彼は思ったそうです。とっさに机の下の隙間に
 身を伏せ、揺れが収まるのを待ちました。
 10秒も経たないうちに揺れは収まりました。
 机の下から抜け出し、その場に呆然と立ち尽くす彼の背後で、
 ガガガガッ、バキバキバキッ、という大きな音が。
 反射的に振り返ると、天井と壁の境目に大きな亀裂が走り、
 そこから真っ黒い煙のようなものが、壁をつたい落ちるように
 ゆっくりと床に向かって流れ出したのです。

 火事が起きる。慌てて編集部を飛び出し、彼は守衛室に向かいました。
 暗い廊下の先で蛍光灯の白い光に浮かび上がる守衛室。
 不思議なことに慌てているのは自分だけ。
 2人の守衛さんは、いつもと何ら変わらぬ様子で座っていたそうです。

「い、いま地震……ありましたよね。大きいのが」
 守衛さんたちは彼が冗談を言っているのだと思ったのか、
 一瞬顔を見合わせた後、笑顔を浮かべながら
「またまたぁ、そんな本気な顔で言われてもなぁ」
「いや、だって……あんなに揺れたじゃないですか」
 彼はもちろん本気です。
「壁だって……そうだ。一緒に来てください。早く!」
 笑顔から困ったような顔になりながらも、若い方の守衛さんが部屋を
 出て、彼と共に小走りで編集部へと向かいました。

 編集部全体が煙に包まれているかもしれない。
 ドアの前で一瞬、躊躇したそうです。しかし、火が出ていたなら
 一刻も早く消火しなければ大変なことになる。
 彼はドアノブをつかみ、勢いよくドアを開けました。

「えっ……そんな……」
 彼の後ろに立っていた守衛さんが中を覗き込み、と訝し気に
「何も変わったところはないようですけど……」
「いや、違う! さっき確かに……部屋が揺れて壁から煙が……」
 しかし煙どころか、天井と壁の境目の亀裂すらありません。
「仕事のし過ぎじゃないですか? きっと疲れて寝てしまったんですよ」
 バカにすると言うよりも、むしろ憐れむように彼に声を掛け、
 守衛さんは戻って行きました。

「違う……寝てなんかいない」
 ゆっくりと自分の席に向かい、イスに座ろうとした瞬間、
 ガガガガッ、バキバキバキッ!
 背後でまたあの音が。
 彼はバッグをつかみ、振り返ることなく編集部を飛び出したそうです。

「不思議なことって……あるんですねぇ」
 そう彼は私に自分の体験を話してくれました。
 少し青ざめた彼の顔が今も忘れられません。

 3カ月後、その出版社は倒産しました。
 現実の方が、よっぽど恐ろしいかもしれません。
 
 

2015.07.081日遅れとなりましたが「7月7日は何の日だ?」という話をお届けします。


どうもです! 小林でございます。

最近、弊社のブログでは制作や編集といった仕事絡みの熱い話が満載ですが、

そのあたりは若い衆に任せて、今回は気象に関する話題をお届けしたいと思います。

「なんで、あんたが気象の話を?」と不思議に思われるでしょうが、

説明すると長くなるので一言だけ。

お天気が人一倍、気になるんです! ということでご了承ください。

 

さて、昨日7月7日は七夕でしたね。

夏の大三角には天の川が……って話をしたいのではなく、

7月7日は気象に興味がある人間にとっては記念すべき日だったのです。

 

昨年10月、種子島宇宙センターからH-ⅡAロケットで打ち上げられて以来、

試験運用が行われていた、静止気象衛星『ひまわり8号』が

正式運用を開始した日なのです。

 

(ひまわり8号は、こんな感じです。気象庁HPより)

スクリーンショット 2015-07-08 18.37.22

 

この『ひまわり8号』の何が凄いって、カラー画像での撮影ができること。

意外と思われるかもしれませんが、気象衛星では世界初の技術なんです。

しかも、先代の『ひまわり7号』は撮影間隔が30分もありましたが、

『ひまわり8号』は日本付近や台風周辺といった比較的狭い範囲であれば

2分30秒間隔で撮影が可能。

まるで動画を見ているような感じで、雲の動きを観察することができるんです。

 

と言うことは、急速に積乱雲が発達することで局地的に発生するゲリラ豪雨の

予測もしやすくなり、該当地域に速やかな防災情報を伝えることができる

可能性もあるということなんですよ。ありがたいですね〜。

 

さらにはカラー画像が撮影できることで、従来のモノクロ画像では判別が

難しかった火山灰や黄砂の飛散状況も分かるようになったわけです。

となると、これまた風向きなどによって飛散が予想される地域に、

事前に情報を伝えることで被害を最小限に抑えることができる

可能性も秘めているなのです。

 

いや〜凄い! 本当に凄い!!

気象庁の職員でも気象予報士でもありませんが、感動ですよ。

まあ、興味のない人には全くピンとこない話かもしれませんが。

 

ただ、どんなに『ひまわり8号』による観測データが優れたものであっても、

得られたデータを元に大気の流れを予測するのはスーパーコンピューターであり、

さらにその数値モデルから予測して天気予報を出すのは、

やっぱり人間なんですよね。

最新のデータ、過去の例、自身の経験……、そんないくつもの要素を

加味しながら人間が天気を予測する。

まだまだ、その状況は変わらないはず。やっぱり人間って凄いですね。

 

なんてことを思いながら空を見上げてみたら、今日も雨。きっと明日も雨。

早く梅雨が明けるといいですね。

 

2015.06.03編集王にはなれないが、編集脳は欲しい!


どうもです! まるっきり、おっさんの小林です。

最近、このブログ上で若いスタッフが、編集に関して熱く語ることが
増えているので、私も編集について考えてみました。

いきなりですが、ちょっと愚痴っていいですか?
24歳でこの業界に入って以来、四半世紀以上もライターとしてやらせてもらっているのですが、
ここ数年、編集者としての仕事が増えているんです。
いや、編集者と名乗るのもおこがましいんですけどね。
何しろ編集の勉強をしたわけではありませんし、編集的な仕事をするように
なったも40歳も半ばを過ぎてからなので。

とは言え、おっさん面ぶら下げて「編集アシスタントです!」と名乗るのもどうかと思いますし、
きっと一笑に付されるだけですよね。

でも、自分が編集業務をやり、ページ作りをしていると
「編集って難しいなぁ」とつくづく思うんです。
どうしても長年の経験から、頭がライター脳なので、ライター的な発想で
ページ構成を考えてしまうのです。
どういうことかと言うと、こういう内容で原稿を書いていきたいから、
写真はこの位置に置いて……とか。

要は見せ方と言うか、その特集の全体像を頭の中でしっかり構成できていないんですね。
できているつもりでいるけれど、実は不完全。
ベテラン編集者に指摘されて「あっ、そうだった……」なんてこともしばしば。

IMG_0251

そんなこともあって、最近は雑誌の読み方が変わってきました。
以前は、文章や写真にばかり目がいっていたのですが、
「おっ、こういうレイアウトか。キャッチをこの場所に置いたのね。こんな
フォントを使うのも面白いな」という感じで。
カッコ良く言えば、俯瞰で見るといった感覚なのですかね。
まだまだ、えらい低空からの俯瞰ではありますが。

考え方を返れば、50歳を過ぎてから違う分野の勉強をする機会って、
なかなかないわけですし、良いことかなとも思うんです。
ただ、年齢的に頭が硬くなっているのは確かだとも思うわけです。
あっ、頭皮は意外と柔らかいんですけどね。

なんて、くだらない冗談を挟みましたが、
もう少し若ければ吸収力も違うと思うんです。
だからこそ若き編集たちには、もっと勉強して、もっと力を付けろ!
と言いたいんですよね。まだまだ間に合うのだから。

あ〜あ、オラ、編集脳が欲しい〜!
でも本音では、もっと良い文章が書けるようになりてぇ〜!!
と思っている自分もいるわけで。
「不惑=四十にして迷わず」なんて言ったのは誰だ?
おら、51歳になっちまうだよ。
あれっ? 文章が訛ってしまった。
こんな脈絡のない文章を書いてるようじゃ、まだまだですな。

では、このへんで失礼します。

2015.04.30防大生のカッター競技会で感じた、あの日の想い


どうもです。小林保でございます。

ここ数日、初夏のような暑さが続いてますね。
道行く人の中に半袖姿を見かけるようにもなりました。

そんな今日この頃ではありますが、私自身、紫外線が強いなぁ!
と感じたのは先週のことでした。
当ブログ上で何度も紹介していますが、弊社で制作している
防衛省オフィシャルマガジン『MAMOR』の取材で、横須賀市にある
防衛大学校(以下、防大)に行った時のことです。

ちなみに、防大は横須賀市の中でも三浦半島の東南端に位置する小原台
という地区にあります。小原台という名称が示す通り、小高い丘の上に
広大なキャンパス(普通の大学のキャンパスではなく、自衛隊の基地・駐屯地を
イメージしてもらった方がぴったりくるかも)があり、眼下は紺碧の東京湾。
晴れた日には房総半島や富士山の眺望が楽しめる風光明媚なこの地で、
学生たちは将来、幹部自衛官になるための教育を4年間にわたって……、
話が長くなりますので続きは割愛します。
興味のある方は『MAMOR』8月号(6/20発売)からスタートする
新連載をお楽しみください。
今年入学した1年生を約1年間追いかけながら、防大の教育や行事、
彼らの成長を紹介していきますので。

前置きが長くなりましたが、と言うわけで防大へ行って来たわけです。
その日の取材は2年生が訓練の成果を競い合う『カッター競技会』。
カッターと言われても何のことだか分かりませんよね?
カッターとは短艇のことで、横2列に並んだ約10名の漕ぎ手が、
オールを使って船を進めるのです。湖や公園の池にあるボートの大型版
と考えてもらうのが良いかもしれません。

防大では1年〜4年生までの学生が4つの大隊に分かれ、
競技会と名のつくものは基本的に大隊対抗戦になるんですよ。
この日行われたカッター競技会も同様です。

競技会の会場となったのは、防大から徒歩で20分ほどの走水海岸。
学生たちは列をなし、丘を下って海岸へと向かうのです。
では、2年生以外の学生は何をするのか?
ズバリ、応援です!
各大隊が海岸の4カ所に陣取り、旗を振り、大太鼓を鳴らし、
声が枯れんばかりの声援を送り続けるんです。
その模様が、こんな感じ。

IMG_0242
(まだ、カッターがスタートしていないので盛り上がってませんが)

 

普段は静かなリゾート地が、この日は午前中から夕方まで防大学生の
熱い声援で包まれるわけです。
勢い余って海に飛び込む学生、日焼けも気にせず叫び続ける女子学生、
その姿が、なんとも青春してるんですよ。

実は20代の頃、友達たちが住んでいることもあって、よく横須賀へ
遊びに行ってたんですよ。毎週のように通っていた時期もありました。
言ってみれば私にとっても横須賀は、青春時代を過ごした思い出の地。

青い空と海、生命力に満ちあふれた学生たちを見ていて、
ふと昔を思い出し、甘酸っぱい気持ちになりました。
我々、取材スタッフも学生たちと一緒に午前中から海岸にいたため、
競技会が終わる頃には、すっかり日焼けしてしまいました。
で、冒頭の紫外線の強さを感じたわけです。

ただ、若者とは違って、50歳を過ぎたおっさんの顔は、
まるで一杯ひっかけたかのような赤さだったんですけどね。

では皆様、素敵なゴールデンウィークをお過ごしください。

2015.03.30春に想う。


春が好きです

 

東京でも桜が咲き、すっかり春の陽気になりましたね。

あっ、どうもです。おっさんの方の小林です。

 

ちょっとだけ早いと思いながら、先週の土曜日に自宅近くにある

桜の名所(と地元民は思っている)、石神井川沿いの遊歩道を、

ゆっくりと散策してきました。

 

土曜日時点の桜の様子が、こちら

IMG_0215

 

さすがに満開とはいきませんが、きれいな桜が咲いていました。

枝にぐっと寄った感じが、こちら

IMG_0221

 

 

なんと、樹の根元にも可憐な花が……。

IMG_0217

 

今、この原稿を書きながら不思議な気持ちでいます。

若い頃には、まさか自分が桜の花便り的な原稿を書くようになるとは

思いもよらなかったので。

夏ではなく、春が好きになるなんて思ってもいませんでした。

とにかく昔は夏が大好きで、夏以外の季節なんていらないと

考えていたぐらいだったのです。

そんな私が、春を待ち遠しく感じるようになったのは

たぶん、ここ10年ぐらいの話なのではないのかと思います。

 

何がきっかけだったのかは思い出せませんが、

ある日、北海道で過ごしていた小学生の頃の記憶、

ある一場面がフラッシュバックしたんです。

 

北海道の小学生は冬場、根雪が積もる前に自転車をピカピカに磨き、

チェーンなどに油を注し、物置きにしまいます。

中学、高校ともなれば、雪があろうが行ける所ならば自転車を利用しますが、

さすがに小学生は危険なので、自転車に乗るのを親に禁止されるのです。

 

今の小学生がどういう気持ちなのかは分かりませんが、

私が子供の頃、田舎で暮らす小学生にとって自転車は特別な存在でした。

最高の移動手段でもあるし、それ自体が遊び道具であり、

自由を与えてくれるアイテム……と言うのは大げさかもしれませんが。

 

だからこそ春が待ち遠しかった。1日も早く自転車に乗りたかった。

4月、入学式が近づく頃、徐々に根雪が解けて、地面に土が見え始める。

雪解け水をたっぷり含んだ土が、春の日射しを浴びて、白い湯気をたてる。

そうなると、いよいよ自転車が解禁となるわけです。

 

物置きから自転車を引っ張り出し、タイヤに空気を入れ、

ペダルを踏む足にぐっと力を入れて漕ぎ出した、あの一歩。

あの日の場面、高揚した想いが甦った瞬間、思い出したんです。

「ああ、春が好きだったんだな」と。

 

まあ、単に年をとったからなのかもしれませんけどね。

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