2010.08.11大場さんの50歳記念サプライズ・パーティ開催!


まずは、パーティにご来場いただいた皆様に感謝の言葉を。
どうもありがとうございました。大場さんも大変感激しておりました。
最初は、ただただ戸惑うだけだったようですが。

あっ、来ていただいた方以外はなんのことやらさっぱり判らないですよね。
実は8月9日(月)に、大場さんの50回目の誕生日を記念したパーティを
大々的に開催したんです。それも、サプライズで。
毎年、この時期になるとサプライズで誕生日会を開いているのですが、
参加するのは社員だけ。まあ当たり前ですね。

このサプライズ誕生日パーティがスタートしたのは12年前。
まだ社員が3名しかおらず、オフィスも普通のマンションの1室の頃でした。
徐々に社員が増えると共にパーティもスケールアップ。
45歳の誕生日には、池袋のジンギスカン屋を貸し切り、
奥さん(あっ、前のね)と娘さんを招いたり、
知人からのビデオメッセージを用意したりと趣向を凝らしたものでした。
そんなこんなで毎回バレないようにパーティの準備を進めていたんですが、
これが結構大変なんですよ。さすがに本人も「そろそろかな?」なんて思うじゃないですか。
その裏をかかなきゃいけないんで。

で、迎えた今年は50thアニバーサリー。
これは今まで以上の趣向を凝らさなければいけない。
ということで、お忙しいのは重々承知の上で日頃お世話になっている
心のグループ企業&都恋堂友の会の皆様にも参加いただいたわけです。
本当にありがとうございました。

その想いが届いたのでしょうか。
なんと当日は100名を越える方々が会場に足を運んでくれたんです。
いやぁ〜びっくりです。都合がつかず会場に来れない方には
ビデオメッセージをいただいたり、電報をいただいたりして。
重ねてありがとうございました。

で、当日は18時半にパーティがスタート。
司会の房野から、あらためて会の主旨を説明させていただき、サプライズのリハーサル。
ハッピー・バースディ・トゥー・ユーの大合唱にまでおつきあいいただきました。
本当にありがとうございます。

涌井に和服のレセプションだとダマされていた大場さんが会場入りしたのが19時20分。
ドアを開けると、そこには小野が。呆気にとられ、後ずさりする大場さんの手をとり、
ハッピーバースディ・トゥ〜・ユ〜と歌い出す小野。

少し調子っぱずれでしたが、そこから会場の全員で大合唱です。

その流れで、50個のケーキのロウソクを一気に吹き消すパフォーマンス(?)。
事情を悟ったものの、まだ落ち着きを取り戻さない大場さんに追い打ちをかけるように
娘さんからの花束贈呈&手紙の朗読。
これは感動的でしたね。栗田は泣いていたそうですから。まあ、最近はすぐ泣くんですが……。

そんなこんなでパーティは大盛り上がりのまま終焉を迎えることができました。
とにもかくにもパーティが成功に終わったのは、お忙しい中、会場に足を運んでいただき、
サプライズ企画にもご協力くださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。感謝、感謝です!

皆様あっての都恋堂。さらなる躍進を目指して頑張ってまいりますので、
何卒宜しくお願い申し上げます。

追伸:実はですね、大場さんには言えない、ここだけの話、毎年のサプライズ・
パーティの準備が正直しんどいんですわ。なので、今年で終わりにして
欲しいという思いもあって盛大な宴を催したわけです。しかも、オンエ
ア前なので詳しいことは書けませんが、パーティ会場にて『ワケありバ
ンジー』というテレビ番組の収録も行なわれたんですよ。タイトル通り、
ワケあってバンジーして来ました。誰がって? 俺がです。詳しくは番
組をご覧ください。放送日等が決まりましたら、またご報告させていた
だきます。

2010.08.03突然ですが! 大八木宏武インタビュー


今回は、ちょっとスタイルを変えて、
都恋堂社員へのインタビューを掲載したいと思います。
記念すべき第一回目のゲスト(?)は、現在、カメラマン兼営業担当という
不可思議なポジションで活躍……する予定の大八木宏武。
都恋堂の中堅どころ。昨年、6年ぶりに人生2人目の彼女が出来たことで、
この先の将来を真剣に考え始めた……はずの32歳。では、お楽しみに!

正直どこでも良かったんです。
カメラマンにさえなれれば!

本人曰く、あの有名な戦場カメラマン、ロバート・キャパに憧れていた大八木が、
何を血迷ったか、都恋堂の門を叩いたのは7年前。
『B-ing』に掲載された募集記事には採用職種“編集者”と、
しっかり明記されていたにも関わらずだ。

「とにかく業界入りしないとカメラマンにはなれないなと思ったんです。
だから、出版社や編集プロダクションに片っ端から履歴書を送ったんすよ。
募集要項ですか? ちゃんと見てなかったような……」

東海大学を卒業後、撮影技術を学ぶため東京工芸大学芸術別科に入学。
両親に金銭的な負担をかけまくっていた大八木にしてみれば、
どこでも良いから働かざるを得ない状況だったのだと思う。

「一次面接は6人の合同面接だったんですけど、こりゃダメだと思いました。
面接で栗田さんに言われたんですよ。あんたの入社後の姿が想像できないって。
自分でも何をやるのか、何をやらされるのか全然わかんなかったっスから」

どうせ半分は辞めるだろうからと一気に4名を採用したのが、
大八木にとって功を奏した。滑り込みセーフで入社決定。
ところが、ラッキーとは言い切れない現実が大八木を待っていた。

とんでもない会社に来ちゃったな
気づけば7年もいるけれど……

入社したはいいものの、当然ながらカメラマンとしての仕事などあるはずもない。
新人編集者(雑用担当)として働きだした大八木だったが、何をやってもダメちん君。
光るものは元気だけ。新人が書いた、あるムック本中のキャッチを大場さんが誉めると
「それ僕が書きました」と、すぐバレるようなウソをつき、
挙げ句の果てには感情たっぷりに「僕だって誉められたかったんです!」という迷言を残す。
辞めるのは時間の問題かと誰も思っていたが、どんなに怒られても大八木は辞めなかった。

「正直、とんでもないところに来ちゃったなと言うか……。
ただ、何があっても3年は勤めないとダメだと思ってたんです。
なんで3年かは判らないんですけど、
何がなんでも、この会社に食らいついて行こうって決めてました」

そんな大八木に転機が訪れたのは入社2年目。
都恋堂が制作することになった雑誌『韓国トップスター』で念願のカメラマンデビューを果たす。
予算があまりない中、韓国取材が決定。
「おまえ写真学校出てたよな。カメラ持って韓国へ行って来い。機材は学校で借りてな」
と先輩に言われるがままに大八木は旅立った。

その後もダメちんぶりを発揮し続けていた大八木だったが、
ある部分は多くの人が認めざるを得なかった。それは、
元気さ・明るさ・外部の人からも好かれる人なつっこさ、そしてフットワークの軽さだった。

撮らせてもらえるなら
どんな仕事でもっ感じです!

入社3年目ぐらいから大八木はカメラマンに専念することになった。
都恋堂内の制作物はもちろんのこと、外部の人からも大八木に仕事の依頼が来るようになった。
撮影技術は置いといて(それでいいのか?)、仕事に対する取り組み方、
現場を和ませるキャラが認められたのだと思う。

「ホント、いろんなことがまだまだなんですけど、撮影の仕事をもらえることが嬉しいんです。
とにかく、クライアントに喜んでもらいたいって気持ちが強いんですよね。
あれを撮りたいとか、これを撮りたいってことより、
撮らせてもらえるなら、どんな仕事でもって感じかなぁ。なんて(笑)」

ちょっと調子こいてますが、ダメちん君と言われ続けた大八木が、
ここまで成長したのは上司として驚きと共に喜ばしいこと。
辛くても頑張り続けた、粘り続けた結果が今の大八木を作ったのだと思います。
最近はカメラマンの仕事と並行して、
元気キャラと人柄をフルに発揮して営業マンとしても活動中。
都恋堂の社員は、いわゆる普通の編集者とは違います。
黙々と編集作業をするのも重要ですが、時には営業マンの顔を持ち、
時には宣伝マンの顔を持つ。それを体現しているのが大八木かもしれない。

あっ、かなり誉め過ぎました。まだまだダメちん君の部分は多々ありますが、
大八木の長所である、やる気・元気・根気(よく居眠りしているが)は変わらない。
頑張れ、大八木! 負けるな、大八木! 彼女と仲良くね。

と、まあこんな都恋堂ですが、「人生、棒にふってもいい」ぐらいの気概がある人は、
こちらをチェックしてください。


都恋堂日記TOPへ

タグ

過去のエントリー